私の心に響いた一言

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妻のことを思うと、涙が止まりません。すみません。

56歳 女性 《患者さんから 患者さんご本人へ》

背景 突然に奥様を亡くされ、生活リズムを壊し、ご自分も突然糖尿病が、判り、緊急入院され、退院されて、初めての、お薬を取りにこられた時の言葉です。仕事中でしたが、思わず私も、涙してしまいました。患者さんの、いろいろな姿を、想像してのことでした。人の、喪失感の、重さを、考えてしまいました。


がんも僕の一部だから、憎むより愛することにした

42歳 女性 《患者さんから 患者さんのご家族へ》

背景 辛い化学療法の時期に、「闘ってるんじゃなくて、自分の体の一部として愛する」と言った夫。「頑張れ、頑張れ」と言い続けていた私は、その言葉にハッとした…慈しむという治し方があるということに気付かされました。


私の家族を、思いやってくれてありがとう!

48歳 男性 《患者さんから 患者さんのご家族へ》

背景 突然見つかった悪性腫瘍。本人の不安はもちろん、家族の動揺を気にしていた義理の父。症状の詳細~手術までのプロセス~術後の話を上手く説明できない。進んで、みんなへの説明をした私に、義理の父からもらったメールです。


一言ではないけれど病床から仮面ライダーのベルトを幼いわたしに、手わたしてくれたときの「おばあちゃん」の笑顔

39歳 男性 《患者さんから 患者さんのご家族へ》

背景 まだ小学生に上がる前のことです。言葉ではないけれど、幼い私に向けられた笑顔が今でも暖かさとともに思い出されます。息子が同じくらいの年になり、その時の光景をよく思い出します。おばあちゃんが残してくれた大切なプレゼントです。


近ごろ良いことがないから落ち込む。ボーちゃんにあたる。いつもごめんと思ってる.....?

41歳 男性 《患者さんから 患者さんのご家族へ》

背景 癌で亡くなった妻が日記をつけていました。死後日記を開くと意識を無くす3週間前に書いていました。自分の体のキツさとどうしようもない気持ち、そして私に対する感謝を読み、改めてずっと一緒に過ごして良かったと思いました。


「みなさんに感謝して…一人じゃ患者もできない」

42歳 女性 《患者さんから 患者さんのご家族へ》

背景 これから鎮静を開始する時にみんなで集まり最期のお別れをしました。すい臓がんと診断され、抗がん剤治療をして2年以上も楽しく生きた患者さんの言葉です。終戦時中国にいました。色々なつらい経験もされたと思われますが、それを「面白かったよ」と、抗がん剤治療中もいつも前向きに「面白いね」と言いながら通院。最期の入院も、体が辛いのに弱音を吐かず、いつもニコニコしていて、スタッフみんな大好きな患者さんでした。「いい人に巡り合えてよかった」と言われていましたが、それは患者さん本人がいい人だからです。相手は自分の鏡とはよく言ったものです。いつも心が洗われ、自分自身のよい振り返りになりました。そんな彼だからこそのメッセージだと思います。そのまま言葉を裏返せば「一人じゃナースもできない」人は一人では生きていけない。本当ですね。いつも助けられている自分。私も感謝をしながら生きていきたいです。


「今日という日は、私に残された人生の最初の日です。今日を大切に過ごせば明日につながります」

67歳 男性 《患者さんから 患者さんご本人へ》

背景 この言葉を、60代のがん仲間から喫茶店で“おしゃべり中に聞いた”私も、今日を大切に病気と上手に付き合って、明るい明日を迎えたいと思う。


あなただって役に立てたじゃない。

52歳 女性 《患者さんから 患者さんご本人へ》

背景 術後すぐに患者の集まりに参加した時、体験者のひとりから言われた言葉です。これから手術を受ける方へ、私はちょっとしたアドバイスを言いました。気持ちが落ち込んでいた頃でした。再発の不安と死への恐怖。生きる力をもらえたような気がしました。


ありがとう

69歳 男性 《患者さんから 患者さんのご家族へ》

背景 たったこの一言が今は亡き兄からの死の三日前に入院していたベッドの上で横になりながら兄が弟の僕に言われた言葉であり、この言葉が兄からの最後の言葉になりました。兄は妻を38歳の時に胃癌で亡くし、四人の幼児を残されて今は亡き母の助けを受けながら四人の子供達を育て上げて、一番下の息子の結婚式には出て亡き妻と同じ症状を患って亡くなりました。僕にとって兄の死は身体がもぎ取られたようでした。


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おかあがくると、身体の調子が良くなるよ。

58歳 女性 《患者さんから 患者さんのご家族へ》

背景 息子は進行がん(肺がん)でしたが、いつも笑顔で弱音をはかず、宮崎での初回治療をのりきり念願の東京へ凱旋しました。しかし数ヶ月もたたず、再び東京での治療となりました。たまに様子を見に行く私を気遣い、母の日の花のプレゼントに、そんな言葉が添えてありました。とても優しく、強い子でした。身体はつらかったに違いありません。心配かけまいと私に笑顔を見せながら、自分をも奮い立たせていたのでしょう。


あと10年は生きなきゃね

44歳 女性 《患者さんから 患者さんのご家族へ》

背景 昨年の春、私が鍼灸専門学校へ入学したのと同時期に、実母が肺癌であることがわかりました。病と闘う人とともに携わりたいとこの道を選びましたが、こんなに身近に現れるとは…。私が一人前になるには、何年位かかるのかという母の問いに、少なくとも10年と答えました。すると、「それじゃ、あと10年は生きなきゃね」と母は言って、逆に私を励ましてくれたのです。お母さん、ありがとう。大丈夫、一緒に頑張ろうね。


「毎日来て検査の辛い愚痴を聞いてほしい」

62歳 女性 《患者さんから 患者さんのご家族へ》

背景 毎日病院に通う私は疲れから、ちょっとしたことで夫と口げんかに。そんな時私が「もう毎日来ないから」と言ってしまった時、夫が弱弱しくつぶやいたのが胸を締め付けられるようで、私が頑張らなくちゃ!と心を新たにした瞬間だった。


ありがとう。命あるかぎり生きますので、よろしくお願いします。

60歳 女性 《患者さんから 患者さんのご家族へ》

背景 夫のガンが次第に増大していく中、夫は61歳の誕生日を病院で迎えました。誕生日の朝、私が夫にHappyBirthdayとメールを送ると夫から次のような返信がありました。「ありがとう。命あるかぎり生きますので、よろしくお願いします」私は夫のこの言葉に励まされ私も精一杯寄り添って行きたいと思いました。夫はその誕生日の1ヶ月半後に旅立ちました。


そう簡単には死にはせんよだって私の体にはいい細胞も沢山おるんよ

34歳 女性 《患者さんから 患者さんのご家族へ》

背景 乳がんから1年で骨転移した母最初はショックを受けていたけど、どんどん強くなっていきました。その後、肝臓、肺へと転移したけど、3年間本当にがんばりました。「おかん殿、本当にそう簡単に死なんかったね!えらいね!」って天国の母に伝えたい。病気の母に勇気と元気をもらいました。


「がんばりよ」と握手をしてくれた父。これが私と父の最後の交わした言葉になりました。

32歳 女性 《患者さんから 患者さんのご家族へ》

背景 父が亡くなる2日前、すでにせん妄のためにまともに会話ができない状態の中、ふと私の顔を見てこの言葉とともに手を差し出してくれました。私は父と最後の握手をしながら、「頑張るね」と返しました。父はがんの診断からたった10か月でこの世を去りましたが、その間に私は看護師になり、10年たった今でも、この言葉と父の姿が私の心に残っています。最期まで生き抜いた父との約束を胸に、日々がん患者さんのもとへと足を運んでいます。


何もしてあげられなくてごめん。こちらは大丈夫だから子供みてあげて。

38歳 女性 《患者さんから 患者さんのご家族へ》

背景 父が抗がん剤治療で入院中に、私の子供がインフルエンザになって、『暫く、病院に行けないよ』とメールしたら、父から来た返信メール。自分の体がキツくても子供への心配をしてくれてる父に感謝。