旅行は一ヶ月したら、行けますよ。先に手術をされたら。

72歳 女性 《医療関係者から 患者さんご本人へ》

背景

私は乳がん患者です。がんと言われた時「先生、友達と旅行に行く約束をしています。先に旅行に行って、それから手術をしたら駄目ですか」とお聞きした時、先生いわく「旅行は手術して、一ヶ月したら行けるから」の一言を励みに手術を受け、一ヶ月経った時お友達と屋久島に旅行に行きました。主治医の先生の一言があったからこそと、今でも皆さんにお話をしています。術後七年目に入っています。


もっとおおらかでいいよ!

59歳 女性 《医療関係者から 患者さんご本人へ》

背景

乳がんの乳房温存手術、放射線療法を終え、ホルモン療法を始めて二年ちょっとたった頃、診察の時にいつもより落ち込んでいる様子の私に、主治医がかけて下さった言葉です。その頃は、まだ病気の再発や転移の事を考えては不安に思い、家族の問題や友人との関係に悩み、疲れ、今迄になく落ち込んでいた私でしたが、この言葉でフッと心が軽くなり、笑顔の私に戻ることができました。この言葉に感謝です。


「よかったじゃない、早くみつかって! これからがスタートよ!」(乳腺外来の看護師より)

67歳 女性 《医療関係者から 患者さんご本人へ》

背景

検診のつもりで他の持病の検査のついでに受けたところ、乳癌と診断。要全摘と云われ夫を呼びました。頭の中、まっ白。病院を娘達と相談。オロオロする自分と周囲の動き。ひとごとの様にしか思えませんでした。夕方仕事を終え、専門外来のある病院の受付前の長椅子に腰かけ、中の動きに耳を傾け、しばし脱力状態の私に声をかけて下さった方。事情を話すと背中をポンとたたきひとこと!! 我にかえりました。しっかり受け止めなくてはと。


患者は妻。息子と同い年位の主治医の先生でした。「お父さん。どんとかまえておきなさい。」息子から諭されている様で勇気付けられました。また、家族から「うちばかりではない」と言われ、勇気付けられました。東北の震災の方々に比べたら、まだまだ悲しみは小さいものです。

57歳 男性 《医療関係者から 患者さんのご家族へ》

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昨年の5月に、体調不良を妻(当時55歳)が訴え、外来を受診し即入院となりました。検査の結果、すい臓がんと診断をされ、家族のみ余命も告げられました。「何で俺が、どうして俺が、、、」と思い、頭の中が真っ白になりました。私より辛いのは妻の方だと理解出来るまで、とても長い時間がかかりました。手術も出来ない段階という事で、抗がん剤・放射線治療を受けておりました。7ヶ月間入院生活を続けておりましたが、吐き気や体の痛みなどが進行し、元気だった妻も日に日に痩せていきました。抗がん剤治療にとうとう効果がみられなくなり、病院での生活か、在宅かの選択になり、本人家族とも在宅治療を希望し、最期の時を家で迎える事が出来ました。本人また家族も、納得する在宅介護だったと思います。また、主治医の先生・在宅介護の看護師の方々にもとても良くして頂き、大変感謝致しました。がん患者を持つ家族の皆様、悔いのない会話・介護を。


過去を振り返っていても仕方ないでしょう。これからのことを考えなくちゃ。

48歳 女性 《医療関係者から 患者さんご本人へ》

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毎年欠かさず乳がん検診を受け、前年にはマンモグラフィ検査を受けました。検診でがんの現れ方を教わっていたので、自ら気付く事が出来ましたが、毎年毎年検診を受けていたのに、どうして?どうして?と問う私に先生がおっしゃった言葉です。がんと告げられた私も辛かったですが、がんと告げる先生も辛かったと思います。手術から5年が経とうとしています。先生がおっしゃった「これから」が今ここにあります。先生、ありがとう。


太く長くです。

51歳 女性 《医療関係者から 患者さんご本人へ》

背景

膵臓がんの手術後の補助化学療法の変更に納得がいかなかった私に、手術できてもなお、がん細胞が残っていることがわかった事実を告げられました。今後の自分に残された生き方を、「細く長く生きよということですか。」の問いかけに、返された言葉です。


「一緒に頑張ろう 私も頑張るから!!」

61歳 男性 《医療関係者から 患者さんご本人へ》

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56歳の時 何の前触れもなく自覚症状もないのに「腎臓がん」と宣告されました。四人の娘の父親として 頑固で強い父親を演じてましたので 本当は不安を抱えながらも弱音を吐くこともなく堂々と腎臓摘出の手術に挑みました 担当の看護師Kさん まだ新米の看護師さんのようで注射が下手なんです(笑) 娘より若いそのKさんが手術前夜の巡回の時 眠れずにいると 「大丈夫ですよ 一緒に頑張ろう 私も頑張るから!!」その一言でなんだか安心してしまいました。あれから5年 Kさん注射上手になったかなと ふと思い出したりしています 「Kさんお陰様で元気に生きていますよ!!」


ここまで、来たら大丈夫だョ頑張ろう。

63歳 女性 《医療関係者から 患者さんご本人へ》

背景

大腸癌とわかり、半年位経過していました。父親が、行方不明・死亡でありました。入院の時も、先生より「手術しないのなら、すぐ帰れ!!」と、言われ私の返答は「死んでもいい覚悟で来たので、好きな様にして!!」と。この言葉は手術室に入った時の言葉です。二週間余りの入院。退院は、自転車(二十分位)で帰ってきました。先生・看護婦さん方に親切にしていただきました。現在も、元気な姿を見せに行っています。


「がん」は俺だけでよかったのに、お前までがんに成るなんてゴメン。貴女の悲しみ苦しみは二人の悲しみだからネ 治してやる!俺がァ

63歳 女性 《医療関係者から 患者さんご本人へ》

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宣告され何がなんだか分からないで、入院が告知の翌日でした。なんで私がと思う反面、主人に申し訳ない気持ちで涙が止まりません。私が何をしたの。二人家族の二人までも「がん」に成るなんて。神様なんか居ないと思いました。でも主人の一言「守ってやれなくてゴメンネ!でも俺も一緒に悲しみも苦しみも分け合って支えるから頑張ろう」と云ってくれ、思い切り涙流し、前向きに生きる様決意し現在とても幸せです。元気です。


「この薬のある時代にこの病気になったのは、ある意味、ラッキーです。」

52歳 女性 《医療関係者から 患者さんご本人へ》

背景

経口の慢性骨髄性白血病の治療薬が日本で承認されてまだ数年の頃、家族が慢性骨髄性白血病だと判り、本人と共に説明を聞いた時に医師から言われた言葉です。病名のあまりの大きさに自分で調べても悲観的な事しか頭に入らなかったけれど、この言葉を支えに数年、この経口のお薬を飲み続けて完全寛解にまでたどり着きました。ありがとう。