偶然知った病名

偶然知った病名

 偶然知った病名


医療ソーシャルワーカーとしての経験をいかし、大学の社会福祉学科で学生たちにソーシャルワークやセルフヘルプ・グループについて教鞭を取る小俣智子さんは、13歳のときに急性リンパ性白血病を発症した。

最初の入院は、中学1年生の冬。繰り返される採血と点滴と検査、そして放射線治療による3ヵ月間の闘病生活を経て、一旦退院してからも、中学・高校と進学しながら17回の入退院を繰り返した。

「でも、もう30年も前のことですから、私にとってはすっかり“昔の話”です。いろいろなところでお話させていただく機会がありますが、自分の経験を3分間で話せるほどになりました」

そんな小俣さんが当時を振り返って印象に残っているのは、闘病生活中に支えになった病棟仲間の存在と、告知のことだという。前者はいい思い出だ。最初の入院で一緒に闘病した仲間のなかには、今でも連絡を取り合っている人もいる。
「病気は違っていても、一緒に闘病したという絆は強いですね。病棟での手紙のやり取りから始まって、退院してからも文通を続け、最近ではメールで交流を続けています」

偶然知った病名

一方、告知のことは、ちょっと苦い思い出だ。小俣さんが正式に主治医から病名を聞いたのは、大学2年生の夏。「もう再発の心配はほとんどない」と完治したことを告げられると同時に、「実は…」と病名を伝えられた。でも、小俣さんの場合、中学1年生の最初の入院の時に偶然、病名を知ってしまっていた。

入院から1カ月後に個室に移ったとき、両親が医師から借りていた書籍に混ざって置いてあった、病名が書かれた診断書を見てしまったからだ。「借りた本をロッカーに入れておくから、先生が来たら伝えてほしい」と両親から言われた小俣さんが、何の本だろうと紙袋を覗いてみたところ、白血病の本とともに診断書が入っていた。

「ああ、やっぱり」という想いと「なんで?」という想いが交錯しながらも、病気のことを自分のためを思って隠してくれている大人たちにそれ以上聞くことはできなかった。

子どもに告知は必要か?

子どもに告知は必要か?


「私のように思わぬところで知ってしまって衝撃を受けるより、ちゃんと落ち着いた場所で信頼できる人から『あなたはこういう病気だよ』と説明されたほうがいいと、私は思うんです」。小俣さんは言う。

入院中の子ども同士は、大人が考えている以上に情報交換をしている。たとえば一方の子どもは自分が白血病だと知っていて、一方は知らない場合、同じ点滴を受けていたら「あれ、もしかして同じ病気なのかな…」と気付いてしまうこともある。
特に今は昔以上に情報が溢れている世の中。「小学生でも携帯電話を持っていますから、薬の名前一つで検索することもできますよね」

それでも、小児がんの場合、本人に伝えるケースは現在もまだ多いとはいえないという。なかには、伝えることが大前提で、かつ、「どんな風に伝えるか」「兄弟姉妹など誰まで伝えるか」を話し合っている病院もあるものの、それはほんの一部の先進的な病院の話だ。
「子どもの方が大人よりも思考が柔軟ですし、『がん=痛い、苦しい、つらい、治らない等』の固定観念がない分、大人が思っているよりも素直に受け入れることができると思うのですが…」

自分の病気についてちゃんと説明を受けていない子どもが多い一方で、病院を退院した子どもたちには、「病気のことを周囲に伝える」という仕事が待っている。

病気のことを伝える力

病気のことを伝える力


たとえば、学校に戻っても、体力が低下していて、みんなと同じようには授業を受けられなかったり、体育の授業はいつも見学しなければいけなかったりする場合もある。「なんで?」「何の病気だったの?」とクラスメートに聞かれ、ちゃんと説明を受けていないために答えられず、「何か隠している!」と、友だちが離れていったり、いじめにつながったりすることもあるという。

そのほか、小児がん経験者は、進学や就職、結婚といった人生のさまざまな局面で、この“伝える”という作業に向き合わなければいけない。

「就職試験で、履歴書に白血病のことを書いたために、面接で30分間延々と『どんな病気なの?』と聞かれ続け、結局、落とされたという方もいれば、小児がんだったというだけで縁談が破談になったという方も。伝え方や伝える内容、伝える相手を考えなければ、人間関係が壊れたり、人生の選択肢が狭まってしまったりするという現実は今なおあります」

また、再発したときや、別の病気になったときも、自分の病気についてしっかり理解し、伝えることが求められる。
小俣さんの場合、30代前半の時に二度目の、30代後半で三度目のがんを経験している。二度目のがんは、足の裏にできたほくろを取ったときに見つかった。三度目のがんは、乳がん。ある日、胸からの出血に気づき、病院に行ったところ、0期の乳がんだった。抗がん剤やホルモン剤は使わず、乳房を温存する手術を行い、再発予防のための放射線治療を受けた。

病気のことを伝える力

「がん体質なんですよね」。小俣さんはさらりと言う。
「二つとも、晩期合併症だそうです。がん細胞が脳脊髄に侵入することを防ぐために頭蓋照射なども行っていますし、小児がんは抗がん剤が効きやすいからこそ、大人よりも強い治療を受けています。だから、治療後に二次がんをはじめ、さまざまな病気や障害が発生します」

がんが再発したとき、病院で「(小児がんで)どんな治療を受けたのか」「どんな薬を使ったのか」を聞かれたものの、当時のカルテも残っていなければ、きちんと説明を受けていなかった小俣さんに伝えられる情報は限られていた。

「子どもたちが自立していくには、さまざまな局面で“伝える”ということが必須。それに病気になったときにずっと小児科で診ていただくわけにはいきませんから、大人になったら情報を自分のものとして使えなければいけません」

そのためには、「年齢に応じて、言葉を変えながら何度も説明するべき」と小俣さんは言う。
「病名を伝えることが告知ではありません。今、体の中で何が起きているのか、これからどうなるのかという説明が必要。子どもの場合は特に、病名よりも、『どうしてこんなに病院に拘束されなければいけないの?』『なぜ、痛い注射、痛い検査をされるの?』『なんでこんなに吐くの?』といった、起こっていることの説明が大切ですし、子どもの年齢や、一人ひとりの理解度に合わせて説明の仕方も変わってくると思うのです」

知らないから偏見が生まれる

知らないから偏見が生まれる


小俣さんは、2005年、「小児がんネットワークMNプロジェクト」を立ち上げた。「MN」とは「みんななかま」と読む。
「小児がんの親の会はたくさんあるけれど、本人たちが出会える場所がない」と「Fellow Tomorrow」という当事者の会をつくったり、小児がん経験者として公の場で講演をしたりするなかで、「いろいろな人とかかわり、10年、20年経ったからこそ見えてくるものがあった」という小俣さん。

MNプロジェクトが目指すのは、「5万人いると言われている小児がん経験者とつながること」、「小児がんに関わる人たちの横のつながりをつくること」と、「小児がんという病気のことを社会に伝えること」

なかでも伝えたいのは、「子どもにもがんがある」ということと「治るようになってきている」ことだ。

「先日、小児がんを特集したNHKの番組を見ていたら、『子どもにがんがあるなんて知らなかった』という視聴者からの声が複数寄せられていました。また、ドラマの影響も大きいですよね。小児がんを扱ったドラマでは、大抵、最後は死んでしまう。だから『白血病なのになんで生きているの?』って言われた子もいます。もっとひどいのは、『白血病がうつるから、あの子と遊んではいけない』と高校生の息子さんに教えているお母さんもいました。知らないために偏見や差別が生まれています」

今年、厚生労働省が設置した「がん対策推進協議会・小児がん専門委員会」の委員も務める小俣さん。「小児がんを取り巻く環境が変わったら、慢性疾患の子どもも、障害を持つ子どもも、療養環境は一緒なので、すべてが変わると思うんです」と期待する。
「小児がんは1万人に一人、年間発症例わずか2,500人の希少がんですから、まだまだ知られていません。まずは、社会に広く知っていただくこと。より多くの人へ広めていく活動の一つとして、12月1日全国小児がん経験者大会を主催する。治る時代になり、国の対策が始まる今だからこそ、意味がある。全国初の試み。200人の小児がん経験者の参加を予測している。詳細はhttp://www.accl.jp/mnproject/news/へ。正しい情報をもっと伝えていきたいですね」

(2012年5月)